読書日記。『『こころ』異聞: 書かれなかった遺言』
「ようこそのお運びで。厚く御礼申し上げます。」
大好きな作家、というか、文豪ですね、夏目漱石さんです。
中でも『こころ』が好きです。
「こころ」を読むと、高校時代の思い出がありありと浮かんできます。
真夏の蟬の鳴き声と、冷たいお茶と、読書感想文に追われていた時のこと・・・。
もっと他にも。
夏目漱石の『こころ』は、国文学者の中でも、論文の数が傑出して多いのではないでしょうか。
ちなみに、大学時代に、畏れ多くも、これをゼミで取り上げたことがありました…。
自分の本棚にも、大学時代に購入した学術本があります。
さて、今回とりあげるのは、作家さんによる『こころ』論考。
なかなか、興味深かったです。
読了。
若松英輔『『こころ』異聞: 書かれなかった遺言』
ブクログから感想を。
そのほとんどは、「先生」と「K」を中心に読み解くものがほとんどだ。
しかし、本書は、「私」に焦点を当て、読み解いていく。
“「私」はいつ語り始めたのか”という問題提起があり、読み進めていくうちに、こういう解釈もあるのだな、と。
新たな発見と知的好奇心をくすぐられた。
やはり、夏目漱石の『こころ』は、何回読み終えても、終わらないのである。
ほんとうに既出の論文は、「先生」に焦点を当てたもの、また、「K」について論じたもの…。
2人の関係性や、人物像、作品の細部について、漱石の女性像と「静」との論考、などなど。
たまに、
「先生の遺書はいつ書かれたのか?」
「“私”はこの遺書をいつ読んだのか?」
「“私”は先生からの遺書をどうして“公開”したのか?」
というものも。
本書で興味深かったのは、やはり、「上 先生と私」の「私」という語り手の視点から論考している点でした。
自分もこの視点について考えたことがあったので…。
非常にわかりやすく、興味深かった。
ただ、もちろん切り離せない関係なのですが、宗教が絡んでくるあたりは、少々難しかったです。
筆者の問題提起、そこから論をすすめ、結論にいたるまで。
「こういう解釈もできるのだな」と。
まだ、『こころ』の学術論文を読みたくなりました。
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